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魔除け天神の百度参り

二十五度をもって百度とす
魔除け天神の「百度参り」は

牛(うし=裕四)の助けにより

二十五度(25回)でよい


なぜ「二十五度」でよいのか?

天満神社には、菅原道真公と縁が深い「牛」が居ます(臥牛の像があります)。
天満神社では、牛は、神の使いである神牛です。
道真公は生前、牛を大切に可愛がり、また牛も道真公を慕い助けました。

その神牛は、あなたの百度参りも助けてくれます。

■ 牛さんが百度参りを助けてくれる

魔除け天神(若狭野天満神社)では、
牛(うし)は「佑四 - うし」であり、
佑は〔たすける〕四は〔四倍〕の意味として、
神牛が、二十五度をその四倍の百度にして下さいます。

25×4=100


「25」は天神さんの聖なる数

二十五度の25という数字は、天満神社における聖なる数です。

道真公は、承和12年 (845年) 6月25日にご誕生され、
延喜3年 (903年) 2月25日に薨去されました。
(因みに、丑の年にご誕生され、丑の月の丑の日に薨去されています)

■ 天神祭りの開催日は25日

全国の天満神社における夏の「天神祭り」は、25日が本宮です。
毎月25日は、天神さんの御縁日です(1月25日はお初天神)。


「桃」は魔除け、そして

なぜ「桃」なのか?

■ 古来より、桃は魔除けの象徴

『古事記』には、
… 八の雷神に、千五百の黄泉軍を副へて追はしめき。ここに佩かせる十拳剣を抜きて、後手にふきつつ逃げ来ます。なほ追ひて、黄泉比良坂の坂本に到りし時、その坂本なる桃 子(もものみ)三箇を取りて待ち撃ちしかば、悉に逃げ返りき。ここに伊邪那岐命、その桃子に告りたまはく、「汝、吾を助けしが如く、 葦原中国にあらゆるうつしき青人草の、苦しき瀬に落ちて患へ悩む時に助くべし」と告りたまひて、名を賜ひて意富加牟豆美命と号ひき。 …

『日本書紀』には、
… 上に八色の雷公有り。伊弉諾尊、驚きて走げ還りたまふ。是の時に、雷等皆起ちて追ひ来る。時に、道の辺に大きなる桃の樹有り。故、 伊弉諾尊、其の樹の下に隠れて、因りて其の実を採りて、雷に擲げしかば、雷等、皆退走きぬ。此桃を用て鬼を避く縁なり。…

■ 桃も、助けてくれる

このように、「桃」には、イザナギノミコト(伊邪那岐命/伊弉諾尊)が、 黄泉から追ってきた雷神(鬼)に対して桃の実を投げつけて撃退した、という謂れがあります。
また、「私を助けたように、人々がつらい目に逢って苦しみ悩んでいる時には助けてやってくれ」と、桃の実に「オホカムヅミノミコト」 という神名が与えられました。


桃の葉、実は

■ 健康と、美しいお肌に

昔から、桃は美容と健康にとても良い果物と言われています。
特に桃の葉には、保湿作用・抗炎症作用・抗酸化作用・抗菌作用などがあり、皮膚疾患に効く、すなわち、 お肌を健康に美しく保つ効果 (美肌・アンチエイジング効果)が高いとされています。また、整腸作用や抗がん作用もあるとされています。

3月3日の雛祭りは、桃の節句(桃の花が供えられる)といい、特に女子の健康祈願(厄除け)の日とされるのも、その桃の力によるものなのでしょう。


「牛桃参り」と称す

■ 「百」=「もも」

百度参りの「百(ひゃく)」は「もも」とも読みます。勿論、「もも=桃」です。

■ 牛桃(うしもも)

(佑四)さんに助けられ、25(二十五)が100()となる、
すなわち、魔除け天神の百度参りは、「牛桃参り(うしももまいり)」とも称される。

魔除け天神では、
そういった意図や願いを込めて、百度石に「桃の石像」を設置しています。


二十五度で百度とす-天神さんの百度参り

二十五度で百度とす-牛が助けてくれる百度参り

百度参りの仕方百度参り(二十五度参り)の方法

一言でいいますと、
牛さんに挨拶した後、25回参拝する
具体的には、以下の通り。

① 牛さんに挨拶に行く

まず最初に、神社正面向かって左側に「牛の像」(臥牛-がぎゅう)がありますので、そこに行って、牛さんに、「宜しくお願いします」 などと、感謝の気持ちで挨拶して下さい。

その際、右手で牛さんを撫でてあげてもよい(佑四の「佑」という字から、人の右側に牛さんが来るようにする)。 - でも、 撫でなくても大丈夫ですよ、自ずと牛さんが右側となる位置にも立つでしょうから。大事なのは心を込めて挨拶することです。


② 数え玉を取る

(牛さんの所から拝殿正面に戻ってきた後)
中に25個の数え玉(ガラス玉)が入っている「小袋」がありますので、その数え玉の「小袋」を1袋お取り下さい。 - お貸し致します、 回数を数えるのにご利用下さい(無料)。

なお、このガラス玉は「桃」に見立てています。


③ 神様に挨拶し、願いを伝える

今から二十五度の参拝をします。
まず、小袋から数え玉を1つ取り出し、拝殿正面の大きな賽銭箱の右横にある「ひょうたん」の中に入れます(何個もひょうたんがありますので お間違えなく)。

初回は、鈴を振り鈴を振るのは初回のみ)、次に魔除け天神の神様に「~から来ました○○と申します。今日は 宜しくお願い致します」などとご挨拶し、「神様、どうか○○の願いをお聞き届け下さい」などと、 願い事をお伝えします。 そして、二拝・二拍手・一拝(二回深々とお辞儀、二回拍手、最後に一回深いお辞儀)をします。

なお、願い事は、二十五度参りにつき、1つです。


④ 百度石を往復し、お参りする

2回目以降、境内の鳥居の前にある百度石(桃の石像)の所まで行き、拝殿正面にまた戻ってきて、お参りをします。このとき、 鈴 は振らず、手を合わせて願い事だけお伝えします。
数え玉を1つ、「ひょうたん」の中に入れることもお忘れなく。

これを、残りの24回繰り返します。

ただし、最後の回(二十五度目)は、手を合わせて願い事をお伝えした後、改めて二拝・二拍手・一拝をして、感謝の気持ちとともに 終えて下さい。 (数え玉の小袋はご返却下さい

なお、百度石の所へ行って戻ってくる道筋は、正面からではなく、正面向かって左側(西の山林側)にある、龍王神社前を通って 鳥居の下をくぐる道をお使い下さい。この道は、手すりもあり、バリヤフリー(階段なし)となっていますので、歩行に不 安がある方も (リハビリ運動なども兼ねて)、ご自分のペースでゆっくりとお参りしていただけます。

大事なこと

大事なことほど、目に見えない

なんでもそうですが、形だけやってもダメです。
もちろん稽古も型から入るように、形も必要ですが、でも大事はのは、
どうやるか、という「やり方」ではなく、どうあるか、という「あり方」です。

一見、同じ事をしていても、上手くいく人とそうでない人がいるのは、そこが違うのです。
どういう気持ち、どういう想いで行うか、その「心の在り方」にかかっています。

百度参りも同じです、回数を多くお参りすればいいんだ… もちろん何度もお参りすることは労を要することですし、それを実際に行うことは 立派なことです。お参りで自分の幸せを願う、もちろんそれも当然、人なら誰でも自分が大事ですし、願うという行為自体が崇高なことだと思います。

でも、せっかく魔除け天神に来られて百度参りするのならば、
これまでとは違う「心の在り方」でお参りしてみませんか?

それは、現在どんな状況でも、
感謝の気持ちで、そして、誰かのために、みんなのために、という慈愛の気持ちで行う
ということです。

例えば、病気の場合、
「辛いです。どうか私のこの病気を治して下さい」
↓↓↓
「この病気は、実際、辛いです。でも、病気を通して、私に何かを伝えようとしてくれているんだと思います(病気さん、今までごめんね。 ・・教えてくれて、どうもありがとう)。それに、現に今、私は生きていて、この神社に来くることができ、祈願することができる、 そのこと自体が既に有り難いことです。 この病気が治りましたら、元気にいっぱい働いて、あの人を・家族を笑顔にしたいです、お世話になった方々に恩返ししたいです、 みんなが喜んでくれるよう世の中のお役に立ちたいです。だから、どうか神様、この病気をお治し下さい」

また例えば、恋愛の場合、
「早く結婚したいです。素敵な彼氏・彼女が見つかりますように」
↓↓↓
「これまで独身でしたが、自分と向き合う時間を与えてくれました。寂しいという気持ちもありましたが、人を想うということを教えてくれました。 それに、決して独りぼっちじゃないです。多くの人と繋がって、支えられ、神様にも見守られています。これまで無事で、そして今こうして参拝できて いること自体、 有り難いことです。 でもさらに、人生の伴侶ができましたら、より大きな感謝と歓びとともに、二人で力を合わせ、幸せな家庭を築き、 周りの人も笑顔にし、仕事もがんばって、より一層社会に貢献したいです。だから、どうか神様、素敵な御縁を結び、結婚へと導いて下さい」

神様は、こういう「心の在り方」でお参りする人が大好きです。


あなたの参拝は、誰かのために

「大事なことは分かるけど… とても感謝とか慈愛の気持ちになれないよ」
ええ、分かります。 それで大丈夫です。
感謝や慈愛って、無理強いされるものじゃないですし・・

百度参りで、自分と神様に真剣に向き合う、それだけでも十分凄いことですので、まずは、どうかあなたのお好きな仕方でお参りして下さい。 (毎回、上記のように長い願い事を唱える必要はありません。あくまでも、そういう気持ちで百度参りすることが大切ということです)

こういう言葉があります。

神は人の敬により威を増し、人は神の徳により運を添う

つまり、あなたの参拝は、神様のご神威を増すことに貢献しており、この神社に参拝される、あとの誰かのためになっています。 あなたの百度参りは、それ自体が、ちゃんと、誰かを助ける慈愛になってますから。